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2018.08.31
【selfishな歴史犬聞録】 日本犬と原始の犬が好きすぎるスタッフの妄想★その1
*1 POCHIスタッフが、犬に関する話題のキーワードや興味深々なことを独自に咀嚼して極私的に語ります!少しずつ更新していきますので、どうぞお楽しみに。
突然ですが、私はいわゆる「スピッツタイプ」の犬たちが特に大好きです。
JKCの分類では「5G 原始的な犬・スピッツ」。英語で言うと「SPITZ AND PRIMITIVE TYPES」。スピッツ(口吻の尖った犬)および原始の姿を残す犬。
原始の姿を残す犬―犬たちの中でも特に祖先であるオオカミの姿を残している犬、という意味でしょうか。
歴史を愛してやまない私にとって、「原始の姿」というワードほど心を甘くくすぐるものもそうありません。
歴史を検証する上で必要不可欠の史料や史跡は、時間の経過や様々な事情で欠落や破損が生じ、当時の様子を復元する作業はとても骨が折れるものです。
実はワタクシ、大学では日本史の研究を数年間、ガッツリやっておりました。
特に大変なのが、「文献に残されていない・残せないものの検証」。
具体的には人々が見てきた景色や思想、感情や風俗、「当時の当たり前」ほど、わざわざ残されることもなく、歴史の波の中に消えていくことが多いのです。
しかしながら、それらこそが大きな歴史の波の中で人々の動きに密接に関わる要素の一つでもあるので、とにかく面白く、また難しい作業を歴史の再検証の中で何度も強いられていくことになります。
しかしそれを、自らの体で表してくれるなんて!!なんてすごい犬たち!(個人の感想です)
一般的には、前後に起きた事象や現存している史料から、逆の手順を踏んで「○○という結果になったのだから、この時期には××があったのではないだろうか(証拠はないけど)」というより他にない歴史を学んできた私にとっては、「古代の姿を生きながらにして残している」とされるこの犬たちはとても魅力的な存在なのです。
日本原産の犬たちもこの原始的な犬の分類に含まれています。
そこでふとひとつの疑問が浮かびました。
「海で囲まれた日本原産の犬たちの祖先は、絶滅してしまったニホンオオカミなのか?」
ちょっと興味深い研究を見つけたスタッフが、思うままに、セルフィッシュ(selfish)に、古代の日本の犬について思いをめぐらせます。
島国ニッポンに犬・オオカミが登場★ニホンオオカミとは、どんな動物だったのかを知る
現在の日本の地理的要因を考えれば、自然発生的に大陸から犬たちが移動してきたと考えるのは難しいですよね。
そのため、犬たち・ニホンオオカミたちの祖先が日本にやってきたのは、日本列島と大陸が地続きだったころだと考えられています。
オオカミたちは陸続きになった大陸に助けられて着々と行動範囲を広げ、日本列島へ。一方、犬たちはこの時期にはすでに、狩猟のサポーターとして、人々と生活を共にしていたため、大型の草食動物を追って氷河を渡ってきた人々と共に、日本に犬たちも定着したのかもしれません。
ちなみに、本土で出土・現存しているニホンオオカミの骨格標本などから推測されているのは、体高は56~58cmほどで細身の体型。ユーラシアやアメリカ大陸で繁栄しているタイリクオオカミと比較して、少し小柄で手足が短いという特徴を持っていたということ。
現在でも東京国立科学博物館では、ニホンオオカミの剥製を見学することができますが、なんだか愛嬌のある顔立ちをしていて親しみやすい印象を受けます。
(面長な日本犬という感じです)
犬に限らず、動物たちは大陸から島に渡り、土着するとサイズが小さくなるという進化をしていくといわれています。
ニホンオオカミがタイリクオオカミなどと比較して小柄になったというのも、日本という土地に適応していく過程でそのような姿に変わって行ったのかもしれませんね。
大陸からやってきた犬たち・オオカミたちは小型化したのか★最も古代犬に近いサイズの犬は……
日本で確認される最も古い文明として知られている縄文時代。
この頃にはすでに犬たちを飼育・使役していたことが、分かっています。
土器に犬が描かれていたり、貝塚から犬の骨が出土するなどのことから、縄文人にとって犬たちが身近な存在だったことが推測されます。
実は、この縄文人とともに暮らしていた犬たちは、体高38cm前後のいわゆる小~中型犬だったと言われています。(現在の柴犬くらい)
縄文犬と呼ばれているこの犬たちは、狩猟・採集生活を送っている縄文人たちにとっては、狩猟のパートナーであり、また危険から身を守る番犬としての役割がまだ強かったはずです。
時代が下り、人々が農耕を営み始めた弥生時代。
この頃も犬たちは人々の近くにいました。
この頃からすでに犬を死者とともに埋葬するという風習の形跡が見られます。(さらに古い縄文時代からも見られるようです。)
その後に犬型のはにわが古墳などに供されるようになっていきますが、支配者層の王墓である古墳の上に犬のはにわが備えられるようになっていくことの関連については、この頃から犬たちに込められるようになった象徴性の部分が深く関係していくことになります。
また、この頃狩猟・採集から派生した新たな役割が犬たちには与えられるようになっていきました。(犬の役割については後述)
人々が定住生活を始めた弥生時代は、大陸から渡来人たちが多く日本に移り住んだ時代でもあります。
この時に、大陸から人々と一緒に犬たちも移り住み、縄文犬の血統に大陸のより大型の犬たちの血統が入りました。
そのため、弥生時代の遺跡などから出土する骨格や資料から、犬たちの体高は47cmまで大型化したと推測されています。
ここから更に、さまざまな職能にあわせて品種改良が進み、大型化した犬、再び小型化した犬とさまざまな犬たちが固定されていくことになります。
(続きは、次回の「日本犬は、ニホンオオカミの子孫なの?」からはじまります。どうぞおたのしみに!)
■ 参考文献
1992/6 西中川 駿 他(共同研究) 「Skeltal Remains of Domestic Dogs from Jomon and Yayoi Sites in Kagoshima Prefecture」 Journal of the Anthropological Society of Nippon/485-498 / The Anthropological Society of Nippon
2012 石黒 直峰 「絶滅した日本のオオカミの遺伝的系統」 日本獣医師会雑誌/225-231 /公益社団法人 日本獣医師会
The Anthropological Society of Nippon
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POCHI スタッフ OKAPY
歴史と犬猫を愛するスタッフ。幼い頃は秋田犬と暮らす。今は猫と同居中。
学生時代の専攻は日本古代史における伝染病のほか、民俗史や習俗など。
でも生涯を通じて一番好きな題材は三国志。
好きな犬のタイプはスピッツタイプ。アラスカンマラミュートやハスキー、秋田犬など。大型だと無条件で好きになってしまいます。