• コラム
  • スタッフコラム

2019.11.19

江戸時代、犬の病気はどうやって治療していたの?日本史の中の獣医さんについて

江戸時代、犬の病気はどうやって治療していたの?日本史の中の獣医さんについて

犬たちが病気になってしまったときや、犬たちとの暮らしの中で感じる健康の悩みにアドバイスをしてくれる獣医さん。健康を守るための予防接種や健康診断の時にも犬たちの状態をチェックしてくれたりと、頼りになる存在ですよね。

今でこそ、動物病院は全国にたくさんあり、動物のお医者さんが多く存在していますが、日本の歴史の中で獣医師という存在はいつ頃から存在するようになったのでしょうか。江戸時代の文献で犬たちを専門に診断していた人々が現れているので、本日は、そんな江戸時代の犬たちに関するお話と、獣医さんの歴史の豆知識をご紹介します。

江戸時代の犬たちの暮らしってどんなものだったの?


江戸時代に入ると、江戸や大阪といった大都市が目覚しい勢いで発展していきました。長く続いた戦国時代が終わり、経済の発展に伴って都市部にさまざまな機能が集中したことで、人も物も都市部へと集まるようになります。このころはまだ、現代と比べると犬と暮らしていた人々はそこまで多くなかったと言われていますが、主に犬たちが力を発揮していたのは狩猟の場。
狩猟を行う専門的な仕事をしていた人々の他に、一部の貴族たちが伴侶として犬と暮らしていた程度で、日本にいた犬のほとんどはかなり自由な暮らしをしていたと考えられていて、優しくしてくれるひとの家のひさしを借りて雨宿りをしたり、食事をしている旅人について歩いて食事を分けてもらったり、と自由気ままに人々との暮らしを楽しむ犬もいたようです。
街の中で人に飼われている犬たちも、犬好きの町人たちに可愛がられていたことをうかがわせる記録が残っています。

そんな折、犬たちの生活が大きく変わる出来事が起きました。有名な、生類憐みの令です。

生類憐みの令によって犬医師が登場

1685年、徳川綱吉によって生類憐みの令が発令されます。簡単に言うと、世に広く「殺生」を固く禁じるというもので、綱吉は戌(いぬ)年うまれだったために特に犬たちを特別手厚く扱うように、というお触れが出されます。

さて、この法令が登場したことによって犬たちの暮らしは一変します。まず、殺生そのものを禁止されてしまったので、当然狩猟も見付かると罰せられてしまい、犬たちもその優れた能力を発揮できる狩りの場を失ってしまいました。猟師たちは急に仕事を失い、犬たちと一緒に暮らすことが難しくなっていきます。
さらに犬たちを繋いでおくことも禁止されたので、街の中で犬たちが今まで以上に多く出歩くようになってしまい、子犬がたくさん生まれ、犬同士のケンカも増え、荷車などと事故を起こす犬も出てきてしまいました。
犬たちが増えすぎたことで、江戸の町人も混乱し、犬たちにとっても暮らしにくい環境になってしまったことが想像できますね。

そこで登場したのが、犬医師と言われる幕府が認定した犬のお医者さん、現代で言うところの獣医師でした。

江戸時代の犬医師の治療ってどんなもの?

お医者さん、どうやらあたし、ちょいと具合が悪いようなんですよ。薬を出しちゃくれませんかね?…と江戸っ子風に頼む犬の声が聞こえて来そうです。


生類憐みの令では、街の中で人々が怪我をした犬、妊娠している犬、病気の犬たちを見つけると、犬医師のところへ犬を連れて行くことが義務となっていました。

その際には、犬たちの毛色や体格、性別、怪我や病気の症状の度合いなどをメモし、犬医師に伝えることになっていました。今で言う問診表のようなものが、当時からあったようです。
そのメモを見て、犬医師たちは「なるほど。それではこれを飲ませてみなさい」と薬を調剤したといわれています。

しかしこの薬というのが、なかなかいい加減で、小豆をこねただけの丸薬、というものも多かったようなのです。それもそのはず、犬たちの病気や怪我についての知識は持っていない薬の卸問屋などが、犬医師になっていたのですから。
当時の人々はそれでもその小豆を犬たちに飲ませて看病をしたのでしょう。その甲斐あって、犬たちは元気になることもあったようですが、薬のおかげ、というよりも人々の手厚い看護が功を奏した……という面の方が強そうです。

しかし、いい加減な治療をする犬医師がいた一方で、江戸時代の初期ごろから犬の病気や症状に関する情報をまとめた「犬の書」と呼ばれる本も作られていました。これは猟犬たちとの暮らしに役立つ情報をまとめたもので、当時のしつけの方法や猟に向いている犬の気質のほか、病気や怪我の薬になるものについても紹介されています。

例えば、食欲が落ちてしまった犬たちには「せきかう」(石膏?ミネラル分)を与えるべき、だとか、皮膚疾患のある犬には松葉、柳の皮を煎じたものを松脂で軟膏にして塗る、だとか薬に近いものを作る方法も紹介されています。
もしかすると、幕府公認の犬医師よりも、ずっと長く犬たちと暮らしてきた猟師たちの方が犬たちの治療には長けていた…のかもしれません。

おわりに

江戸時代の犬医師たちは、現代の感覚ではあまり信頼できない存在だったようですが、当時としては犬たちを医者に診せるということ自体がまずなかったので、犬たちの医療について知識がない人々が急に犬医師として抜擢されたという側面があったのでしょう。綱吉の死後、早々に犬たちを医師に診せるという制度は廃止され、犬医師たちも姿を消していってしまいます。

しかし一方で、昔から長く犬たちと暮らしてきた人々は、犬たちの怪我や病気を治療するために受け継がれてきた知恵を確かに持っていた、ということも分かりました。生類憐みの令が出た当時、犬たちとの暮らしに関する知識を持っている猟師たちが犬医師として活躍することがあれば、生類憐みの令の中で犬たちに関する日本の医療はもう少し進歩したのかもしれません。そう考えると、歴史のちょっとしたズレが残念に思われてなりません。

参考文献

*1 谷口研吾 『犬の日本史―人間とともに歩んだ一万年の物語―』(2000年・PHP文庫)

*2 伊藤一美『宮内庁図書寮文庫所蔵「犬之書」と犬医療行為の歴史』(2017年・日本獣医史学雑誌54 25-39)