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2022.12.01
大好きな飼い主を守った2頭の忠犬の物語。播磨犬寺の物語を読む【#selfishな歴史犬聞録】
人間最初の友達にして、人々の発展に大きく関与してきた相棒である犬たち。
歴史の大きな流れの中には、いつだって人々に寄り添う犬たちの存在がありました。だから、歴史のロマンに触れる時、犬とばったり出くわすことは、意外と多くあります。
今回、ご紹介するのは犬のために建立されたという伝説を持つお寺の話。その背景には、飼い主のために戦う犬の忠義の物語と、当時の人々が犬に対して持っていたある種の「憧れ」のようなものがありました。
日本人が愛した犬たちの一面を、歴史の中から読み取っていきましょう。
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POCHIのペット栄養管理士 岡安
ペット栄養管理士です。犬ぞりやフリスビーなど、犬とできるアクティビティが好き。大型犬を見るとテンションが上がります。
播磨犬寺伝説とは?
播磨犬寺伝説って、聞いたことがある方はどれくらいいるでしょうか?もしかしたら、地元にお住まいの方はご存知かもしれませんが、全国的に知られた「昔話」のようなものではありません。
実はこの伝説、あるお寺が建立されたルーツを説明する「縁起(えんぎ)」と呼ばれるお話です。
ちなみに、この播磨犬寺というのは、現在の兵庫県南西部にあたる「播磨国(はりまのくに)」に存在する「犬寺」と呼ばれたお寺のこと。
長らく播磨犬寺は、物語の中に存在はしていたものの、実際に存在したのかについては調査が進められていたところでした。
しかし2018年、ついに発掘調査によって播磨犬寺らしき遺跡が発見され、(一部の歴史好きの間で)話題になっていました。
なんとその発掘された遺物から推測された年代は、飛鳥時代のものというのですから驚きです。播磨犬寺のお話のルーツは、遠い昔、聖徳太子などが活躍していた時代にあったということになります。
播磨犬寺伝説 概要
それでは、播磨犬寺の伝説を現代語訳にして、ご紹介いたします。
その昔、皇極天皇の時代のお話。
現在の兵庫県神崎郡神河町に枚夫長者(ひらぶのちょうじゃ)という豪族がいました。彼はとても美しい妻を持っていたのですが、夫婦には子供がいませんでした。その代わりのように、2頭の犬を我が子のように大層かわいがっていたそうです。
さて、そのころ都で戦が起こり(大化の改新の直前ともいわれる)、枚夫長者もその戦に従軍することになります。
枚夫長者は、信頼できる部下と妻に家のことを任せて戦に行き、手柄を立てて数カ月後に戻ってきます。
無事に帰ってきた枚夫長者の勝利を祝うため、宴会が開かれたのですが、その場で留守を任せた部下の一人が、枚夫長者を狩りに誘います。
可愛いがっている犬たちに、思い切り狩りを楽しませてやりたいという飼い主心もあったであろう枚夫長者は、この誘いを快諾したのでした。
さて、約束の日。
部下に連れられて入っていった山の中、枚夫長者は不審に思います。「このあたりで狩りをしたなんて話、聞いたことはないが…」と訝しんだ時には、もうすで部下は姿を消していました。
気が付いた時にはもう、枚夫長者は部下の一人に弓矢で狙われていたのです。
「まんまとだまされおったわ!」部下は嘲笑って枚夫長者に言います。「お前の妻はお前を殺して、財産をすべて俺にやると言っているぞ。」
なんと、枚夫長者の妻は不義理を働き男女の仲になり、留守を守るはずの枚夫長者の部下をそそのかし、暗殺しようとしていたのです。
枚夫長者は絶体絶命のピンチ。
そんな飼い主を心配そうに見上げたのは2頭の犬たちでした。
「お前たち、すまないな。わしからの最後の褒美じゃ」
そういうと、枚夫長者は自分の弁当を犬たちに差し出しました。
「悔しいが、ここまでのようじゃ」
絞り出すような枚夫長者の声に、犬たちもただならぬことを察したようです。弁当に口もつけず、じっと飼い主の顔を見つめます。
「…だが、頼みがある。もしもわしが討たれたら、その時はお前たちが残さず屍を喰らうてくれ。戦場で死ぬのは武士の誉れ。だがこんなところで、あのような者に討たれるのは許せぬ」
そう、悲痛な覚悟を枚夫長者が語るや否や、2頭の犬たちは飛び上がり、1頭は家来の弓に、もう1頭は喉ぶえに噛みつきます。
あまりに急な出来事に驚いた家来は、犬たちを振り払い、大慌てで逃げていきました。
子どものようにかわいがっていた犬たちに命を救われた枚夫長者は、この忠義者の犬たちに心から感謝しました。
その後、不義を働いた妻と裏切り者の部下を追い出した枚夫長者は、「私には子供がおらぬが、これからはこの2頭を我が子としようと思う。私が死んだら、我が財産を全てこの2頭の忠義者のために使ってくれ」と宣言し、犬たちが亡くなるまで大層大切に育てたそうです。
枚夫長者の亡き後は、その遺言が守られて「播磨犬寺」という犬のための寺が作られた、というのがこのお寺の起原になっているのです。
日本人が感心する、犬の忠義の心。
さて、この播磨犬寺のお話では、飼い主である長者のピンチを犬たちが救ってくれました。
日本の昔話では、たびたび犬たちが家族の窮地を救う場面が出てきます。
でも、どんな飼い主でも良い…というわけでは決してなく、やはり犬を自分の子供のように大切に育てていることがポイント。
昔の人々にとっても、犬は家族の愛情を理解している、と考えられていたことがよく分かります。
それから、犬は長らく「忠義者」の象徴として考えられていました。日本に昔から暮らしている犬の姿を今に残す日本犬たちは、「自分で飼い主を決める」といわれることもありますが、それだけに「この人!」と決めた相手には深い深い愛情を注ぎ、一生のパートナーとなってくれます。
この性格的な特徴は、昔からあったようです。きっと、洋犬たちが日本にやってきたときは、誰にでも愛嬌をふりまくその人懐っこさに日本人みんな驚いたんだろうなぁ…。
さて、この日本の犬の飼い主への強い思いと、信頼できる相手に命を懸けて尽くすという姿勢は、武士たちの姿にも重ねられるようになります。
自分が心から信頼できる相手のために戦う犬の姿は、武士たちから見てもちょっとした憧れを伴ってみられていたと考えられます。
「自分もこの犬たちのように、尊敬する殿様のために忠義を尽くしたい…」そんな思いを抱いていた武士もいたのかもしれません。
日本史好きが播磨犬寺の発掘調査に期待していること
日本史と犬をこよなく愛するスタッフとしては、この播磨犬寺と思われる遺跡が発見され、その調査が進められているという知らせに大きく期待を膨らませています。その理由は大きく2つ。
まずは、何と言っても日本の歴史の中で犬のために建立されたという珍しいお寺であること。人間であれば、著名な方が亡くなった時にその偉業を称えるためであったり、あるいは病気の治癒を願ってなどの理由で「誰かのために」お寺が作られることは事例として比較的多く見られます。
でも、特定の人が大切にしていた「犬」のために建てられたお寺となると、かなり珍しい事例です。
日本の歴史学の中では、現代の私たちの感覚と比較すると、どうしても当時の犬たちの立場は悪かったという考えが主流なのですが、播磨犬寺が飛鳥時代の頃から実在していたとなれば、その前提が覆されることになるかもしれません。古代の日本人は、人間の大切なパートナーだった犬たちも、きちんと功績を残せば高貴な人たちと同じように大切にされ、尊重されるべきと考えていた…そんなことが大前提になるかもしれないのです。犬好きとしては、日本史に大きな激震をもたらすことになるはず!と期待しているのです。
それから、もうひとつ古代の犬たちの食事や暮らしの様子が判明するかもしれない、ということ。犬のために建立されたお寺ですから、その境内には犬のためのアイテムが備えられていたのではないでしょうか。もしかすると、犬のために飛鳥時代に犬たちが食べていた好物と考えられるものが、お供えされていたかもしれません。
発掘調査によって、古代の日本で使われていた犬のお手入れ道具や犬の食事が見つかれば、それも大発見。日本人と犬のお付き合いの歴史解明の大きな一歩になるかもしれません。
西洋と比較して、古代日本史において、これまで犬に関する具体的な物事が記されることはほとんどないと考えられていました。しかし、実際の発掘調査を通して古代の犬たちの姿などがどんどん明らかになっていくかもしれません。う~ん、ワクワクしますね!
おわりに
日本の昔話の中から、犬が登場するお話「播磨犬寺」をご紹介いたしました。
現在はまだ発掘調査が進められている最中ですが、今後は飛鳥時代の犬たちの暮らしぶりが分かるヒントが発見されるかもしれません。
また、今後はこの播磨犬寺は日本全国の犬好きが集まり、犬たちの健康や末永く絆を願うパワースポットとして人気になるのかも…なんて思ったりもしています。