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2021.01.01
POCHIビジョンな仲間たち 一般社団法人Do One Good代表理事 高橋一聡さん (第1回)
日本で暮らす犬のためにできることを考え、それを着実に形にしていく。POCHI が注目する粋な人物をご紹介します。(POCHI編集チーム)
目標が見えたら、どうすればたどり着くかを考え、走るのをやめない、生粋のラガーマン。
高橋一聡さんの話を聞いていると、そんな言葉がしっくりきます。
高校時代にラグビーを始め、大学では日本一を三度経験、卒業後は伊勢丹ラグビー部で活躍するなど輝かしい経歴をもつ一聡さん。
しかし、選手引退後に一聡さんが選んだのは「ラグビー」ではなく「犬」という未知のジャンルでした。
現在は一般社団法人Do One Good代表理事という肩書きで活動していますが、その活動について、ラガーマン時代の経験なども含めて語っていただきました。
ティックとタックの存在。 ラグビーから犬を仕事に。
---一聡さんといえば、犬をイメージする人と、ラグビーをイメージする人の2通りに分かれそうですね。
そうですね。今いろいろな活動をやっていますが、まずラグビーのことから話した方がいいかもですね。僕の考えのベースみたいなものが詰まっているので。
---高校時代からラグビーを始められたんですよね。
はい。その前には水泳や野球、バスケット、陸上、テニスをもしていて、何をやっても成績を残せていたんです(笑)。小さい頃から、すごく負けるのが嫌いだったので。
---すごい子どもだったんですね。
だけど、狭い社会の中では1番になれているんだけれど、日本一は経験していないぞ、って中学の頃に思い始めて。その頃にハンマー投げの選手にはならないかって誘ってくれる高校があったので、気持ちは傾いていたんですけど、肘を悪くしていたので病院で手術をしたんです。その時に病室でテレビを見ていたら東京都のラグビー予選の決勝がやっていて、僕を誘ってくれている高校が出ていたんです。
---そうなると応援しますよね。
そう、でも残念ながら相手側のチームが勝っちゃったんです。で、気になっていたのでその後も全国大会をチェックしていたら、なんとその高校が全国優勝したんです。東京都内の高校で、しかも集団スポーツで日本一になれる高校があるんだって、うれしくなって。誘ってもらっていた高校の誘いを蹴って、相手側の高校に入ってラグビーを始めちゃったんです(笑)
---面白い動機ですね
だから、目標は日本一であって、ラグビーがやりたいとか、そういう感じではありませんでした。
---初心者ながら、持ち前の運動神経でメキメキと。
たとえば、それまでやっていたバスケットは接触しちゃいけないスポーツなんですが、僕の場合、すぐにファールをとられて退場しているような選手だったんです。それがラグビーになると、接触すると褒められるんです(笑)。なんて素晴らしいスポーツだと、すぐにのめりこみました。そして2年生の時に主力メンバーに選ばれたんですけど、チームとしては1、2年の時は全国大会出場ができなくて、3年の時に全国大会に出場できたものの、ベスト8止まり。日本一になる夢は叶わなかったんです。
---日本一を目指して入部した一聡さんにとっては、まさかの展開ですね。
で、そこでいろいろ考えたんですけど、だったら大学日本一を目指してみようと明治大学に進学して、そこでは4年間で3回日本一を経験しました。
---大学で夢が叶ったわけですね。
当然すごく嬉しかったのですが、日本一になって感じたのは、ラグビーはチームスポーツなので、別に自分じゃなくても日本一になれていたかもしれないと感じちゃったんですね。当時は就職も控えていていたので、社会人の強豪チームから声をかけてもらっていただいたのですが、日本一になりそうなチームよりも、日本一になるのが難しいチームで強くなっていくプロセスを楽しめるチームに入ろうと思うようになっていました。そっちの方が自分に合ってて、もっと楽しいと感じたんですね。
---険しい道の方がおもしろいと。
もちろんそれもあるんですが、同時に、世界も経験してみたいという思いもあったので、その条件を許容してくれるチームを探していて。それが当時ラグビー部の強化を始めていた伊勢丹だったんです。入社してすぐにニュージーランドのオークランドのチームに行かせてもらいました。
---そういうこともあるんですね。
ニュージーランドでラグビーをしてプレイヤーとして成長できた部分はもちろんあるのですが、それと同時に考え方も変わったかもしれません。
---ラグビーに対する考え方ですか。
ラグビーは試合が終わった後に、アフターマッチファンクションというのが行われるんですよ。激しくぶつかり合った相手選手とエールを交換してようやく試合が終わるという考え方があるんです。それは日本にもあるんですけど、ニュージーランドでは、アフターマッチファンクションに街の人たちも参加するんです。ホームもアウェイも関係なく。それで、地元のファンがアウェイの人に一杯目を奢るんです。
---なんだか素敵な光景ですね。
日本と決定的に違うなと感じたのが、日本の場合はアフターマッチファンクションでは選手がちやほやされて主役になっているのに対し、ニュージーランドでは全く逆なんです。主役はファン。この中にコミュニティが生まれて、それを楽しみに来ている人もたくさんいるんです。ラグビーに限らずですが、スポーツというのは。そのコミュニケーションの質を高めるための一つのネタにすぎないんだということを思いました。
---なるほど
80歳くらいのお爺ちゃんがビールを飲みながら僕らのプレーにダメ出ししたり、褒めてくれたり。ファン同士もそうだし、僕ら選手との距離もぐっと縮まるんですよね。僕らは質の高いプレーや面白い試合をすることが、地域のため、人のため、社会のためになるとすごく感じたんです。そういう経験をしてきたので、ラグビーで学んだことが社会の中で通用するかどうか、そんなことを考え始めまして。
実は、7年目に伊勢丹のラグビー部が廃部になったので、それと同時に会社も辞めて1年間何もしない時期をつくったんですよ。釣りと散歩ばかりしていました(笑)
---散歩…いよいよ犬の話がでてきましたね(笑)、その時に犬はいたんですか?
ティックとタックという双子のアイリッシュ・セターがいました。
---POCHIのカタログにも登場したあの子達ですね!
はい、そうです。
■相棒となる犬との暮らしが新しい世界へ
---犬と一緒に暮らしが始まったのはそのとき?
実は、ティックとタックはラグビーをしていた頃にうちに来た犬です。もともと、アイリッシュ・セターという犬種を知らなくて、ランニングをしている時にたまたま見かけたんです。「すごく綺麗な走り方してるなぁ」と思って。別に犬が好きとかじゃなくて、アイリッシュ・セターの走り方に一目惚れして、「これだっ!」と思ったんですよ。
---でも、アイリッシュ・セターは、世話がなかなか大変ですよね。
しかも雄二頭っていう。最悪な状況ですよね(笑)。実は、うちに来て3〜4日くらいかな。まだ名前を決めていなかった時期に、家族から1頭返そうって言われたんです。2匹が家の中で走り回るので、家もボコボコになっていて。
---わかる気がします(笑)
僕も「確かに!」と思ったんです(笑)。でも、尻尾をパンパン振っている姿を見ていると、これからこいつ達といよいよ始まるんだという気持ちが強くなっていたので、どうしてもどちらか1頭を返すという気持ちになれなかったんです。ちょうど自分の中で名前も固まったところで、これから一緒に時を刻んでいきたいから「ティック」と「タック」という名前にしようと家族に話をしていたら、知らないうちに涙が出てきちゃって。家族ももう少し頑張ってみようってなって、2頭とも引き続き一緒に暮らすことになったんです。
---それで、ラグビーを辞めてからの1年間、ずっとティックとタックと一緒にいたという感じなんですね。
はい。朝から散歩に連れて行って、天気が良さそうなら三浦半島の先まで一緒に行って。そんなことをずっとやっていましたね。
---いいですね。
ただその間、今後のことも考えていたんですよ(笑)。起業家セミナーに行ったり、成功者の話を聞きに行ったり。でも、そのときITが来ている時代で、その手の話には全然興味が湧かなかったんです。
---一聡さんとITはあまりイメージわかないですね(笑)
ですよね(笑)。そのとき、ティックとタックの世話もやっぱり大変で、特に洗濯に困っていて。
---毛も長いですしね。
犬のベッド、犬舎の掃除とか、本当に1日がかり。しかも家の洗濯機で回すと人の洗濯物まで毛だらけになるし。同じように困っている人は結構いるんじゃないかなと思って、だったらいっそのこと商売にしちゃおうと。幸い、自分の住んでいる地域には犬を飼っている人もたくさんいるし、太陽と洗濯機があれば洗濯屋さんができちゃうんじゃないかと思ったんです(笑)。
---すごい展開ですね。
僕は大きなビジネスがしたいわけじゃなくて、コミュニケーションの中で生まれるものを、シンプルにそのまま形にしたいと思っていたんです。
---ニュージーランドで感じたことがここで。
毎朝、大型犬を飼っている人のところにいって、ベッドを取り替えたり、犬舎を買ってもらってそれを掃除すればとか。洗濯屋といっても自宅に通えば犬と親しくなれるし、飼い主とのコミュニケーションの中で相談を受けたりすることもある。「犬の専門家」ではなかったですが、ただの洗濯屋が配達の時に相談に答えられたらサービスになるんじゃないかって、何か可能性を感じたんです。
---たしかにそういう需要はありそうですね。
ティックとタックの世話の延長線上で僕が地域のペットコミュニティのハブとなって、最低限の生活が続けていけるなら、これでいいなと思っていたんですよ。洗濯屋自体は構想に終わったのですが、そのとき考えたことが次のステップに進むきっかけになりました。
(続く)