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2021.04.28
Dog Snapshot R 令和の犬景 Vol.2 健気なラスト・ラン
(写真・文 内村コースケ)
犬は太古より人類と一緒に歩んできました。令和の世でも、私たちの暮らしにさまざまな形で犬たちが溶け込んでいます。このフォトエッセイでは、犬がいる情景を通じて犬と暮らす我々の「今」を緩やかに見つめていきます。
健気なラスト・ラン
僕もいち飼い主として、SNSに愛犬の写真を毎日のように上げている。メインで利用しているのはFacebookなのだが、個人のタイムラインにだけではなく、犬好きや特定の犬種の飼い主が集まる交流グループにもUPしている。そうしたグループにはそれぞれに投稿のルールがあって、中でも「亡骸の写真の投稿は禁止です」と掲げている場合が多い。
犬の飼い主のSNSコミュニティでは、やはり病気の相談や闘病の報告などの投稿が目立つ。人に聞いてほしい、見てほしいのは、平穏な「犬がいる日常」よりも、悩みや心配事なのは人情だろう。その最たるものが、「虹の橋を渡りました」という、愛犬が亡くなった報告だ。その投稿には愛犬への感謝と、溢れ出てくる涙と共に愛の言葉が切々と書かれる。
それに対するコメントも励ましや同情の言葉で溢れかえるわけだが、投稿に添えられる写真が当の愛犬の亡骸だった場合は、賛否両論となる。飼い主にとっては、「愛しい我が子の最後の姿を見てあげて」という気持ちなのだろう。僕も4頭との別れを経験しているので、その気持ちはよく分かる。でも、冷たいようだが、多くの他人にとっては「犬の死骸」というショッキングなビジュアルである。「公開の場に上げるのはいかがなものか」というネット警察的なご意見は容易に想像できる。
見る人を愛犬家だけに絞っても、生々しい悲しみの姿を直視できない層がおそらくはマジョリティであろう。いずれ必ず訪れる、でも、絶対に訪れてほしくない自分の愛犬の姿と重ね合わせてしまい、ジレンマの末の拒否反応が起きる。それ故に、「亡骸の写真禁止」を謳うグループが増えているのだと思う。でも、大規模な犬のグループに入っていると、ルールがあっても、毎日のように亡骸の写真を目にする。僕も気持ちは良く分かるし、これまでの4頭の亡骸の写真はしっかり撮っている。でも、人に見せたことはない。
僕が後々まで大事にしたい愛犬との「最後の思い出」のビジュアルは、亡骸でもなく、直前の寝たきりの姿でもない。それは、「最後に見せた元気な姿」だ。もちろん、ズバリそのもののシーンを運良く写真に収めるのは難しい。でも、最低スマートフォンがあれば誰でも写真が撮れる時代。自分なりの最後の思い出の写真は、必ずあるはずだ。愛に溢れていれば、写真そのものは上手に撮れていなくてもいい。
今回掲載の写真は、上が約半年の闘病の末、この春亡くなった犬仲間の愛犬『ラリー』。泳ぐのが大好きだった彼が、昨年秋に湖で見せた最後の飛び込みシーンだ。下は、2年前の夏に亡くなった我が家の『マメ』。妻との散歩中、出張から帰った僕の姿を見て小走りで駆け寄ってきたシーンだ。この頃のマメは既にヨタヨタで、ほとんどカートに乗って散歩していたのだけど、この時だけは奇跡的に自分の足で走った。ラリーもマメも、しっかりカメラの前で最後の力を振り絞ってくれたのだ。犬はなんと健気なのだろう。
■ 内村コースケ(写真家)
1970年ビルマ(現ミャンマー)生まれ。少年時代をカナダとイギリスで過ごした。早稲田大学第一文学部卒業後、中日新聞で記者を経験後、同東京本社(東京新聞)写真部でアフガン紛争の撮影などに従事した。2005年よりフリーとなり、「撮れて書ける」フォトジャーナリストとして、ペット・動物愛護問題、地方移住、海外ニュース、帰国子女教育などをテーマに撮影・執筆活動をしている。特にアイメイト(盲導犬)関係の撮影・取材に力を入れている。ライフワークはモノクロのストリート・スナップ。日本写真家協会(JPS)会員。