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2024.12.18
Dog Snapshot R 令和の犬景Vol.45 アイメイトの「最後のお仕事」
写真・文 内村コースケ
犬は太古より人類と一緒に歩んできました。令和の世でも、私たちの暮らしにさまざまな形で犬たちが溶け込んでいます。このフォトエッセイでは、犬がいる情景を通じて犬と暮らす我々の「今」を緩やかに見つめていきます。
リタイア犬は皆、家族の一員として余生を過ごす
今年10月に、アイメイト(公益財団法人「アイメイト協会」出身の盲導犬)のリタイア犬と過ごした4年間の日々を綴った写真展「リタイア犬日記 3本脚で駆けた元アイメイト(盲導犬)の物語」(ソニーイメージングギャラリー銀座・2024 10/4〜17)を開催しました。その際、来場者の皆様から、「引退した盲導犬が、一般家庭で幸せに暮らしているのを初めて知りました」という声を多くいただきました。
盲導犬に引退という概念があること自体をご存知ない方もいたのですが、アイメイトの場合は、特に定年を定めてはいないものの、健康や体力の衰えなどを鑑みて、使用者それぞれの判断で適切な時期に引退させます。引退したアイメイトは「リタイア犬」と呼ばれ、それぞれボランティアの一般家庭に家庭犬として引き取られ、余生を過ごします。使用者は、長い目で見たパートナーの幸せを第一に考え、新たな家庭での時間にゆとりがあるよう10歳前後でリタイアを決めるケースが多いようです。我が家に来た「マルコ」も、10歳から14歳までリタイア後の日々を楽しみました。
「リタイア犬日記」の感想で、特にハッとさせられたのは、「内村さんのところのマルコちゃんは幸せでしたね。ほかの子たちは皆、老犬ホームのような所に入れられるのでしょう?テレビでは美談のように扱っていたけれど、かわいそう」という声です。日本国内のリタイア犬の扱いは、11ある盲導犬育成団体によって異なるのですが、アイメイト協会では老犬ホームのような施設は設けていません。全てのリタイア犬がマルコと同じように、各家庭で家族の一員として余生を過ごします。犬は人と共に暮らすのが最も幸せだという考え方から、アイメイトの歴史が始まった60年以上前からそうしています。
日本一周クルーズを「最後のお仕事」に
さて、本連載の過去の記事や写真展「リタイア犬日記」では、マルコ(本連載では主に仮名の「マメスケ」で登場)の様子を通じて、リタイア犬の暮らしぶりを紹介させていただきましたが、その前段の使用者がリタイアを決めてから奉仕家庭に引き取られるまでの流れについては、僕も実際に立ち会ったことがありませんでした。
このほど、初めてその様子に触れる機会がありましたので、10歳のアイメイトが「最後のお仕事」をしてから奉仕者に引き取られるまでの流れを紹介したいと思います。
今回、アイメイトのリタイアを決めたのは、50代の女性使用者、杢尾文(もくお・あや)さん。アイメイトの使用が可能になる18歳からアイメイト歩行を続けているベテラン使用者で、今回リタイアさせるアイメイトは4頭目。最後に一緒に豪華客船で10日間の日本一周クルーズを楽しんで、下船したその足でアイメイト協会に引き渡してリタイアさせるとのこと。杢尾さん自身もそのまま協会施設に残り、次のアイメイトを迎えるべく、4週間の歩行指導合宿を受けます。
ちなみに、杢尾さんとこの4頭目の暮らしぶりは、2018年に一度取材したことがあり、アイメイトとして働き盛りの時期の様子も知っています。それだけに、僕自身も感慨深いものがありました。
家族に別れを告げて
杢尾さんとアイメイト、ご主人の勝利(しょうり)さんが乗り込んだのは、マルタ船籍のMSCベリッシマという定員5568人、全長315mの東京駅と同じくらいの大きさの超巨大豪華客船です。広大な船の中の移動にもアイメイトは不可欠ですが、まずはクルーズ船が停泊している東京湾の港までバスと電車を乗り継いで向かいます。アイメイトの仕事の真髄は、パートナーと一心同体となった単独歩行で、目的地まで安全に移動すること。自宅の玄関を出た瞬間から「最後のお仕事」のスタートです。
その前に、一度ここでお別れとなる息子さんとごあいさつ。お仕事中のアイメイトには、使用者本人以外は触ってはいけませんが、ハーネスを外してくつろいでいる時は一般の家庭犬と変わらない家族のアイドルです。現在大学生の息子さんにとっても、一緒に育ってきたアイメイトとの別れは、とても名残惜しいことでしょう。アイメイトも、別れを告げる息子さんの目をじっと見て、愛情に応えていました。
最後まで「グッド、グッド!」と褒め続け
都内の最寄りのバス停から、港がある駅に着く「ゆりかもめ」が発着する新橋駅に向かいます。アイメイトは、これが最後の仕事だとは分かっていない様子。いつも通り、しっかり誘導の仕事をこなします。杢尾さんも、あえていつもと同じように振る舞い続けていました。
横断歩道での安全確認や駅構内の歩行は、杢尾さんとアイメイトの共同作業。エスカレーターに上手に乗れた時などには、「グッド、グッド!」と褒めてあげます。「上手にできたら褒める」は、アイメイトとのコミュニケーションの基本です。杢尾さんはリタイアの瞬間まで、これを続けました。
アイメイトを通じて生まれる温かい関係
ゆりかもめに乗り込むと、隣に座ったご婦人方がアイメイトを見て「偉いわねえ」と声をかけてきました。もともと社交的な性格の杢尾さんですが、アイメイトと一緒にいると、より交流のきっかけが増えるそうです。実は、客船クルーズは3度目の杢尾さん。隣の席のご婦人方は、今回が初めての乗船で、外国船ということもあって、言葉の不安などがあると明かしました。「クルーはみんな日本人に慣れているから大丈夫。私が色々案内してあげるね!」と杢尾さん。アイメイトをきっかけに、早速、船旅の友だちができました。
港がある駅を降りて、アイメイトと一緒に船に向かいます。乗船口の前で記念撮影をして、私はここでいったんお別れ。乗船口で出迎えたツアーのスタッフは、アイメイトの存在に慣れた様子で船中へと杢尾さんたちをいざなっていきました。ツアー会社に事前に提出した書類には、ちゃんと障害の有無やアイメイトの同行を申告する欄があり、乗船後のスタッフの配慮も行き届いていたそうです。そうした周囲のさりげないサポートも、アイメイトのお仕事と視覚障害者の自立を支えているのですね。
ふたりの絆は永遠に
それでは、ご主人の勝利さんが撮影した客船内と寄港先での写真を紹介しましょう。
淡々とした表情の裏にある深い愛情
10日間のクルーズを終えた杢尾さんとアイメイトは、その足で東京・練馬区のアイメイト協会を訪れました。2018年の取材の際、杢尾さんはこう語っています。
「出会った時から、いつか引退することは分かっているわけじゃないですか。『ありがとう』の気持ちはあっても、そこでめそめそするのは犬に失礼かなと」
その言葉通り、協会のロビーで淡々とした様子でパートナーを歩行指導員に引き渡すと、あっさりとリタイアとなりました。一般にイメージされるような「涙の別れ」のシーンは一切ありません。けれど、犬は敏感な動物だから、薄々は別れを感じたに違いありません。少し不安そうな表情が見て取れました。だからこそ、なるべく未練を残させまいと、あえて淡々とふるまう杢尾さんの様子に、深い愛情と親心を感じたのです。
そして、杢尾さんはそのまま歩行指導合宿に入るため、協会施設内の居室へ。翌日には次のパートナーと出会い、ここに寝泊まりして4週間の歩行指導を受けるのです。
一方、犬の方はどうなったかというと、引き渡しから数時間後にはもう、リタイア犬を迎え入れるのを心待ちにしていた奉仕者が迎えに来ました。奉仕者が、用意していた家庭犬用の首輪をつけて、迎えの車へ乗せる。アイメイトが名実ともに「リタイア犬」になった瞬間です。こちらも変に犬に不安を与えかねない“感動の演出”のようなものはなく、淡々と引き渡しが進みました。僕には、まだ少し不安そうな表情に見えたけれど、うちのマルコも最初はそうでした。でも、迎えの車内ですぐに打ち解けて笑顔になったのがとても強く印象に残っています。順応性の高いアイメイトのこと、きっとこのリタイア犬も、原稿を書いている今ごろは、杢尾さんとの日々を胸にしまいつつ、新たな生活を楽しんでいることでしょう。
視覚障害者がアイメイト歩行を続けるには、今回のような「代替わり」は避けられません。杢尾さんは言います。「『使い捨て』と言う人もいますけれど、価値観が違うのでしょう。私は、リタイアで悩んだり泣いたりしたことはありません。次の犬を持つと、前の犬たちがぞろぞろと後ろからついて来る気がするんですよ」。