- コラム
- フォトエッセイ
2022.02.07
Dog Snapshot R 令和の犬景Vol.11 アイメイトの聖地・銀座
写真・文 内村コースケ
犬は太古より人類と一緒に歩んできました。令和の世でも、私たちの暮らしにさまざまな形で犬たちが溶け込んでいます。このフォトエッセイでは、犬がいる情景を通じて犬と暮らす我々の「今」を緩やかに見つめていきます。
リタイア犬と初めて聖地に立つ
僕は長野県の高原にある自宅と東京の下町にある仕事場を行き来する二重生活を送っている。先日、その往来の途中で初めて愛犬の「マメスケ」と銀座に降り立った。銀座通りの看板の前で記念写真を撮ったのだが、なんでそんなおのぼりさんみたいなことをしたのか。それは、銀座がアイメイト(公益財団法人「アイメイト協会」出身の盲導犬)の聖地だからだ。
マメスケはアイメイトのリタイア犬だ。10歳でアイメイトを引退し、長年一緒に歩いた使用者の手を離れ、2年半前に僕たち夫婦のもとへやってきた。本当は、他のアイメイトも皆そうであるように洋風の名前がついているのだが、アイメイト関係の犬の“個人情報”は、外部に漏らしてはいけないことになっているため、僕が以前飼っていた犬たちの名前から取って、対外的には「マメスケ」としている。
話を銀座に戻すと、この地は、晴れて使用者とアイメイトのペアになるための、卒業試験が行われる場所である。つまり、「日本一の繁華街」を自分たちの足だけで歩き切ってはじめて、アイメイト歩行の免許皆伝となるわけだ。そう、マメスケも含む全てのアイメイトは、パートナーと颯爽と銀座を歩いたことを一生の誇りとしているのである。そう考える僕の思い込みかもしれないが、銀座通りを歩くマメスケは、いつもの老犬然としたのんびりペースとは違って、しっかりとした足取りで前を向き、やや早足なアイメイトらしい歩き方に見えた。
銀座歩行は「歩行の自由」の象徴
日本には11の盲導犬育成団体があるが、この国で初めて盲導犬を育てたのは、「盲導犬の父」と呼ばれるアイメイト協会の創設者、塩屋賢一である。戦後間もなく独学で自分の愛犬を使って盲導犬の育成法を確立した。そして、やはり戦後の日本で初めて盲導犬歩行を志した当時大学生の河相洌(かわい・きよし)さんと出会い、1957年に河相さんとシェパード犬の「チャンピイ」を国産盲導犬第1号のペアに育て上げた。
河相さんとチャンピイの歩行指導は河相さんの実家がある東京・大森で行われたが、河相さんらごく初期の使用者を除き、今日までに誕生した1400組以上のアイメイトペアは、練馬区のアイメイト協会や吉祥寺周辺で4週間にわたって歩行指導を受けた後、銀座で卒業試験を受けている。
アイメイト歩行が目指すのは、全盲の視覚障害者が、第三者の力を借りず、犬だけで自由に歩くこと。そして、全国に〇〇銀座という繁華街があるように、昭和の日本一の繁華街といえば、誰がなんと言おうと銀座であった。日本で一番賑やかな街を颯爽と歩ければ、どこへでも行ける。つまり、自らが掲げる「歩行の自由」の精神を体現できる場所として、塩屋賢一は銀座を選んだのだ。
正しいアイメイト歩行ができれば、毎日の通勤路などに限らず、初めての町でも安全に歩くことができる。実際、アイメイト使用者は皆、どこへでも自由に出かける。海外渡航経験者も少なくない。
「幻のコース」と「ナイルレストランのカレー」
そんな銀座の卒業試験にまつわる裏話が2つある。銀座歩行の意味するところは、先に書いた通り、精神的・象徴的意味合いが強い。実は、もう一つのより実践的な卒業試験が、銀座歩行の翌日に非公開の「幻のコース」で行われる。幻だから、僕もどこで何が行われているかは知らない。試験を受ける生徒にも当日まで知らされないため、予備知識なしのぶっつけ本番で歩くことになる。こちらは、有名な銀座とは違い、名実共に皆が初めてのコース。これもまた、いつでもどこでも歩ける「歩行の自由」を獲得するためのハードルである。
アイメイトと銀座といえば、もう一つは、「カレー」だ。銀座の卒業試験には一度に数組のペアが参加するのだが、無事歩き終わったら、皆で昭和通り沿いにあるインド料理店「ナイルレストラン」で、名物の本格インドカレーを食べるのが慣例となっている。実はここ、1961年に初めてアイメイトの入店を正式に受け入れたレストラン。当時は、全国どこでもアイメイト同伴で飲食店に入れなかったのはもちろん、電車やバスにも乗せてもらえなかった。ナイルレストランは、そんな時代に、近くの聖路加病院に入院していた塩屋賢一が、病院を抜け出してこっそり食事をして美味しさに衝撃を受け、常連になった店。それが縁で、先代店主のA.Mナイルさんが、快くアイメイト使用者の社会参加に手を貸したという逸話が残っている。
雨の銀座での忘れ得ぬ光景
アイメイトは視覚障害者の目であり、雨でも外出しなければならないのは視覚障害者でも晴眼者でも同じだ。銀座の卒業試験も例外ではなく、雨天でも行われる。そんな、ある年の雨の銀座での光景が忘れられない。無事パートナーと歩き終えた男性が、ゴール地点の三越デパートの軒下にスッと入り、何よりもまず、アイメイトの体をタオルで丹念に、いたわるように拭いた。そして、柱に寄りかかって、人目をつかないように静かに顔を覆って涙を流した。アイメイトはかたわらに伏せ、感傷を共にしているように見えた。
男性にとっては2頭目のアイメイト。僕は以前から男性とは面識があったのだが、男気に溢れ、人前で涙を見せるようなタイプではない。それでも、そして2度目の銀座であっても、込み上げるものがあった。アイメイトは、乗り物やロボットとは違う「生きた目」だ。温かい絆の誕生の瞬間は、人に見せるような軽いものではないかもしれない。それを黙って撮るのは失礼だと承知で、僕はシャッターを切った。
■ 内村コースケ(写真家)
1970年ビルマ(現ミャンマー)生まれ。少年時代をカナダとイギリスで過ごした。早稲田大学第一文学部卒。中日新聞の地方支局と社会部で記者を経験後、カメラマン職に転じ、同東京本社(東京新聞)写真部でアフガン紛争などの撮影に従事した。2005年よりフリーとなり、「撮れて書ける」フォトジャーナリストとして、ペット・動物愛護問題、地方移住、海外ニュース、帰国子女教育などをテーマに撮影・執筆活動をしている。特にアイメイト(盲導犬)関係の撮影・取材に力を入れている。ライフワークはモノクロのストリート・スナップ。日本写真家協会(JPS)正会員。