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2022.07.28
Dog Snapshot R 令和の犬景Vol.17 令和4年初夏の犬景
写真・文 内村コースケ
犬は太古より人類と一緒に歩んできました。令和の世でも、私たちの暮らしにさまざまな形で犬たちが溶け込んでいます。このフォトエッセイでは、犬がいる情景を通じて犬と暮らす我々の「今」を緩やかに見つめていきます。
揺れ動いた初夏
今年の梅雨ははっきりしなかった。梅雨明け宣言後も梅雨の気配を残しながら猛暑日もあったりして、ダラダラと真夏に突入した感がある。前回のVol.16<やっぱり山がいい!「犬の老後の選択」その後>に書いたように、持病持ちの老ラブラドールを抱える僕たち家族は、梅雨明け宣言と同時に仕事場がある東京から涼しい長野県の山荘(自宅)に生活の拠点を移した。
うちの犬の体調はその後も一進一退。社会全体を見渡しても、コロナ禍の波が収まったと思ったらまた大波がやってきた。そして、7月の参院選ではなんとも後味の悪い事件に心がざわめいた。この夏は、気候も世間も我が暮らしも揺れ動いている。今回は、そんな令和4年初夏に街角と高原で出会った「犬景」=「Dog Snapshot」を紹介しよう。
高原の湖畔で
こちらは、蓼科高原の湖畔で出会ったオッドアイ(左右の色が異なる瞳)のミックス犬。「(犬も飼い主さんも)カッコいいので写真を撮らせてください」と声をかけると、快く応じてくれた。猟犬風の毛並みや出立ちから思わず「カッコいい」と言ったけれど、聞けば元気盛りのレディとのこと。日本犬をベースにセッターやポインターの血が入っているようで、日本の真ん中にありながら西欧風の雰囲気もある高原の風土に、なんとも似合う犬なのであった。
下町の路地で
一方、こちらの2枚は東京の下町の日常で出会った人たち。下町のおじさんたちは一見ぶっきらぼうに見えるから声をかけるのに勇気がいるけれど、犬の話になると大抵の人は相好を崩す。サムライ気質の柴犬もまた、そんな性質だ。犬は飼い主に似ると言うけれど、僕はどちらかというと飼い主が犬に似るのだと思っている。
下は、路地裏のレストランのテラス席の一コマ。写真の2頭のシー・ズーは夫婦で、その子供たちと飼い主さんも一緒にテーブルを囲んでいた。この日は、そのうちの1頭の誕生日を祝うために皆で集まったとのこと。犬の家族が人の輪を結んだ微笑ましい光景だった。この日は夕方になっても蒸し暑さが残る真夏日。自分はそっちのけで犬を扇(あお)ぎ続けるその気持ち、よく分かります。
懐かしい顔
今年はうちの犬の体調維持を考えて、寒い山荘暮らしを避けて年明けからずっと東京で過ごしていた。そのため、高原の自宅に帰ってきたのは半年ぶりだ。このグレート・ピレニーズは、久しぶりに会った懐かしい顔のひとり。かかりつけの動物病院の看板犬で、今回院長先生に聞いて初めて知ったのだけど、うちの犬と同じ足の骨の癌を患いながら、長期間生活の質を維持しているとのこと。実は、先日、この病院でうちの犬も大きな手術を受けた。写真は、その退院時に見送りにきてくれた時の様子。同じ病気で頑張っている姿を見せてくれたおかげで、その巨体に見合った大きな勇気と希望をもらった。
下の子は、近所のノーフォークテリア。いつも僕たちの姿を見つけると、ゴロンとお腹を見せて撫で撫でさせてくれる。半年ぶりでも覚えてくれていたんだね。
そんなこんなで、いよいよこれから厳しい夏本番を迎える。犬にとって、暑さは人間以上に堪えるけれど、今年はいっそこのモヤモヤした時代の閉塞感を吹き飛ばすような、カーッと暑い夏になってもいいや、なんて思うのである。
■ 内村コースケ(写真家)
1970年ビルマ(現ミャンマー)生まれ。少年時代をカナダとイギリスで過ごした。早稲田大学第一文学部卒。中日新聞の地方支局と社会部で記者を経験後、カメラマン職に転じ、同東京本社(東京新聞)写真部でアフガン紛争などの撮影に従事した。2005年よりフリーとなり、「撮れて書ける」フォトジャーナリストとして、ペット・動物愛護問題、地方移住、海外ニュース、帰国子女教育などをテーマに撮影・執筆活動をしている。特にアイメイト(盲導犬)関係の撮影・取材に力を入れている。ライフワークはモノクロのストリート・スナップ。日本写真家協会(JPS)正会員。