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2022.10.05

Dog Snapshot R 令和の犬景Vol.19 黒犬の奇跡

Dog Snapshot R 令和の犬景Vol.19 黒犬の奇跡

写真・文 内村コースケ

犬は太古より人類と一緒に歩んできました。令和の世でも、私たちの暮らしにさまざまな形で犬たちが溶け込んでいます。このフォトエッセイでは、犬がいる情景を通じて犬と暮らす我々の「今」を緩やかに見つめていきます。

信州・小諸の街角風景にフレームインした「黒犬」

僕のストレス解消法は、カメラを片手にフラッと街を歩く「フォトウォーク」だ。1、2時間で済ますこともあれば、1日中延々と歩き続けることもある。場所にはこだわりがなくて、名所旧跡や観光地でなくていい。お祭りの期間や桜や紅葉がきれいな特別な時期も良いのだが、僕は「なんでもない時にちょっとした街をさりげなく歩く」のが好きだ。

祭りがある「ハレ」の日には、必ず特別な「ハレ」の写真が撮れる。でも、僕は、大物が放流されているのが分かっている釣り堀に行くよりも、何が釣れるか、いや、釣れるかどうかも分からない「普通の海」にワクワクする。そして、(釣り師は逆のことを言うかもしれないけれど)写真家目線では釣りとフォトウォークの最大の違いは、フォトウォークにはボウズ(全く釣れないこと)がほとんどないことだ。

先日フォトウォークをした長野県小諸市の駅前商店街もそんな「普通の海」だった。小諸と言えば懐古園(小諸城跡)と北国街道の古い街並みが見どころだが、駅前商店街はどこの地方都市でも見られるようなシャッター街。「坂の町」らしい傾斜のある独特な風情があるが、ハイシーズンの休日でも人影はまばらだった。

どんな町並みにも、必ず強く惹かれる光景がある。今回それは、駅前通りを歩き始めてすぐ、道を挟んだ先にあった。吹き抜けになっている路地の先に、ツタが絡まった昭和レトロな雑居ビル。『スナック夕子』の看板が、さらに昭和感を盛り上げる。軽く深呼吸をしてカメラを構える。すると、それまで人影がなかった街角に、黒ラブを連れた人たちが現れた。ご夫婦だろうか。タイ式マッサージの看板がある店の前で立ち止まると、男性の方は隣の建物の階段を上がっていった。犬はそれを追いたい気持ちを抑えるように尻尾を立ててぐるぐるとあたりを回る。それをたしなめる形で、一緒に待つ女性がトリーツ(おやつ)を使っておとなしくお座りするよう、促した。

15年前のベルリンでも起きた「黒犬の奇跡」

シャッター街の中で、外国人経営(と思われる)店だけがポツンと営業するのは、今の日本の定番である。長野県のこの地域では、タイ料理店の場合が多い。そんな令和の日常と、昭和からタイムスリップしてきたようなツタが絡まるビルとの共演。僕の目には、それが非日常的な光景となって飛び込んできた。それだけで、フォトウォークの成果としては十分なのだが、さらにそこに「Dog Snapshot」が絡んできたのだから、両方を追っている僕にとってはシーバス(スズキ)とチヌ(クロダイ)がいっぺんに釣れたようなものだった。

そういえば、15年ほど前にストリート・スナップを撮りに通っていたベルリンでも、似たような出来事があった。旧東ベルリンの街角を歩いていた時のこと。やはり道の向こうにタイ物産店があって、古き良きベルリンの雰囲気とのミスマッチを感じてカメラを構えようとしたところ、フラットコーテッド・レトリーバーのような黒い大型犬を連れたカップルが目の前の横断歩道の手前で止まって、さっとキスをした。

犬がノーリードだったことと合わせて日本ではまず見られない街角の光景。そこはお国柄の違いだ。一方、街とカメラを構える自分の感性が一体化した時、必ずやシーバスとチヌがいっぺんにかかるような「ハレ」の状態が訪れるのは、いつでもどこでも変わらない世の本質だと僕は思っている。

他にも味のある街頭風景に犬が絡むことは何度もあったが、フレームインしてきた犬の多くが「黒」だったのは偶然か僕の思い込みか。日本には古来、神の遣いとしての白犬の伝説が各地に残っているが、「黒」となると黒猫が横切るのは不吉だと言われたりする。その一方で吉兆とする文化もある。海の向こうも同様。例えばイギリスには「ブラックドッグ(ヘルハウンド)」という黒犬の霊がいて、不吉な妖精だとも冥界の守護者だとも言われている。僕は、白と黒、天使と悪魔といった対をなす概念は表裏一体で、どちらも人間の言葉や理屈では説明できない奇跡的な何かを表すものだと思っている。

小諸の黒犬の飼い主さんには、写真を撮った後に声をかけて掲載許可をいただいた。犬はまだ1歳で、しつけの真っ最中とのこと。犬がいる暮らしで最も輝いている時期のワンシーンに出会えて、とても嬉しくなった。

50年モノのツタと「昭和の匂い」

いよいよ「夕子ビル」の前まで歩を進める。1階は今風に改装されて花や雑貨を売る店とカフェとして新装開店したばかりだと分かった。しばし絡まるツタを眺めていると、スタッフの男性が「2階のスナック夕子はそのまま残してあるんですよ。無料開放しているのでぜひご覧ください。良いお写真が撮れると思いますよ」と声をかけてくれた。僕は酒は飲まないし、カラオケもしない昭和生まれの令和っ子だ。でも、付き合いでこの手のスナックに行ったことがないわけではない。入った瞬間、嗅ぎ覚えのある昭和ディープスポット独特の匂いがした。紫色の布貼りの椅子から香る、湿った埃っぽいすえた匂いとでも言うべきか。ここはホンモノだ。

店に貼ってあった新聞記事によれば、この「夕子ビル」には、往時には9店のスナックやカラオケ店が入っていたが、10数年前から空き家になっていた。それが、隣の御代田町と軽井沢でオシャレな花屋さんを経営している社長の目に止まり、外観をそのままに改装した。花屋さんだから、特にツタに次世代に遺すべき価値を感じたとのこと。社長の目利きでは50年モノだという。

昭和の庶民文化は、仰々しく町ぐるみで文化財として遺すようなものではなくて、このように目利きができる人が要所を押さえて少しずつでも遺していけばいいのかな、と僕は思う。元々戦後のドサクサに個人個人がバラバラに計画性もヘッタクレもなく作ったのが戦後の昭和から平成にかけての街並みだ。だから、遺し方もピンポイントのバラバラでいいじゃないかと思うのである。

「奇跡」にあやかりたい

1階の新装開店した『FLORO CAFE』は、裏庭がテラス席になっていて、ありがたいことにペットOKとのこと。フレンチ・トーストのヴィーガンメニューもとてもおいしそうだったので、後日、うちのラブラドール・レトリーバーの「マメスケ」と再訪した。

彼は今、がんによる断脚手術を克服して3本の脚で自力で駆け回るほど元気に過ごしている。脚を1本失っても、たいていの動物はたくましく生きると聞く。その姿は我々人間には奇跡的に見える。マメスケの場合、病気の性質と13歳という年齢を考えればやはり僕は奇跡が起きていると思いたい。「黒犬の奇跡」に、真っ白いマメスケもあやかれますように。そんな思いもあっての昭和再生カフェ再訪だった。

■ 内村コースケ(写真家)

1970年ビルマ(現ミャンマー)生まれ。少年時代をカナダとイギリスで過ごした。早稲田大学第一文学部卒。中日新聞の地方支局と社会部で記者を経験後、カメラマン職に転じ、同東京本社(東京新聞)写真部でアフガン紛争などの撮影に従事した。2005年よりフリーとなり、「撮れて書ける」フォトジャーナリストとして、ペット・動物愛護問題、地方移住、海外ニュース、帰国子女教育などをテーマに撮影・執筆活動をしている。特にアイメイト(盲導犬)関係の撮影・取材に力を入れている。ライフワークはモノクロのストリート・スナップ。日本写真家協会(JPS)正会員。