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2023.04.28
Dog Snapshot R 令和の犬景Vol.26 3本脚のリタイア犬と共に迎えた浅間山麓の春
写真・文 内村コースケ
犬は太古より人類と一緒に歩んできました。令和の世でも、私たちの暮らしにさまざまな形で犬たちが溶け込んでいます。このフォトエッセイでは、犬がいる情景を通じて犬と暮らす我々の「今」を緩やかに見つめていきます。
3度目の春
今年の春は長野県の浅間山の麓(ふもと)で迎えた。一緒に暮らしているアイメイト(公益財団法人「アイメイト協会」出身の盲導犬)のリタイア犬「マメスケ」が昨年7月、骨肉腫の手術で左後脚を切って3本脚の生活になったのを機に、実家があるこちらに移った。アイメイトを引退して10歳で我が家に来てから最初の春は八ヶ岳の山荘で、2度目の春は東京で迎えた。そして今年が3度目の春。ここに至るまでの経緯はVol.21<「今」を優しく強く生きる「老後の青春」>などに書いたので、ご覧いただければ幸いだ。
昨秋にはすっかり自力で元気に駆け回れるようになったマメスケは、浅間山麓の厳しい冬を乗り越え、今年も無事桜の季節を迎えることができた。昨年の桜は、骨肉腫で余命半年ほどと診断された直後に仕事場があった東京で見たVol.15<「街か山か」- 終の住処の選択」>。その頃は急坂が多く冬の寒さが厳しい山の自宅にはもう帰れないかな、と思っていただけに感無量だ。
標高約1,000mの今の家の周りの桜は、例年は4月下旬に咲く。今年はそれよりも1週間から10日ほど早く、淡いピンクのソメイヨシノだけでなく、信州に多い赤みが強いオオヤマザクラやタカトオコヒガンザクラがマメスケを優しく包んでくれた。
木の芽時に体調を崩す
実は、今年も桜の開花直前、季節の変わり目の木の芽時にマメスケの身に命の危機があった。一昨年あたりから春先に花粉症のような症状で鼻水とくしゃみが出るようになったのだが、今年はそれが一層ひどくなり、ある日急にぐったりとして呼吸も浅くなってしまった。慌ててかかりつけの動物病院に連れていくと、感染症による気管支炎の疑いが強いとのこと。それ自体は軽い症状だったが、血圧が危険な水準まで下がっていたのが懸念材料だった。
一晩入院して点滴を受けさせても良いが、急変することも考えられるという。「入院か家で一緒に過ごすか」の選択。以前、入院させて死に目に会えなかった経験をしている僕たちは、万が一の時は家で一緒にいることを優先して、今回は入院させない選択をした。
幸い、薬が効いて翌日にはごはんをもりもり食べ、1週間もしないうちにすっかり元気になった。結果的に入院の必要はなかったので、正しい選択だったことになるが、こうした場合の「入院か帰宅か」は、大きな賭けであることに変わりはない。そんなことが直前にあっただけに、今年の桜を一緒に見られたのはなおさら感慨深いのだ。
優しいから強い
骨肉腫の方も不幸中の幸いが続いている。余命宣告から1年以上が経過し、「発覚時には高確率で転移している」と言われる癌の明確な転移はいまだ見られない。昨年の今頃は「14歳まで生きてくれれば万々歳」と考えていたのだが、6月の14歳の誕生日まで、あと1カ月余りとなった。今や3本脚での歩行もすっかり自然体で、散歩で出会う人たちも脚に障害があることに気づかないことが多い。そして、僕たちの気持ちも「あと数ヶ月の命」という悲壮感を秘めたものから、「穏やかな日々を自然体で」と、ゆったりとした構えに変わっている。
それもこれも、マメスケの穏やかで優しい性格がもたらしてくれたものだ。幾度もの危機を乗り越え、ともすれば生きる気力を失ってしまうほどの障害とも何事もないように付き合っている。「頑張っている」という体ではなく、あくまで自然体。長年目が見えない人を支えてきた元アイメイトの優しさは、強さを伴って底知れず深い。
■ 内村コースケ(写真家)
1970年ビルマ(現ミャンマー)生まれ。少年時代をカナダとイギリスで過ごした。早稲田大学第一文学部卒。中日新聞の地方支局と社会部で記者を経験後、カメラマン職に転じ、同東京本社(東京新聞)写真部でアフガン紛争などの撮影に従事した。2005年よりフリーとなり、「撮れて書ける」フォトジャーナリストとして、ペット・動物愛護問題、地方移住、海外ニュース、帰国子女教育などをテーマに撮影・執筆活動をしている。特にアイメイト(盲導犬)関係の撮影・取材に力を入れている。ライフワークはモノクロのストリート・スナップ。日本写真家協会(JPS)正会員。